ぼくは電車に乗っている。終点に向かう電車に乗っている。
乗ってはいるがぼくには目的も、理由も、意味も、何もなかった。
ガタンゴトン、と車内が揺れる。それに合わせて吊り革も、吊り革に捕まる人たちも揺れていた。
地方のそこそこな田舎の町から都会へと進むこの電車では、窓を背にして座るロングシートではなく、進行方向に向いて席が設置されているクロスシートタイプが採用されている。通勤や通学のラッシュ時でもそう混雑しないという理由からだろう。……なんにせよ、今はそれがありがたかった。
この電車にいる人たちは実に様々だ。スーツを身にまとい、四角いA4サイズより二回りほど大きいカバンを持つ男性。スマホ片手に忙しなく何かを入力している様子のビジネスカジュアルな装いの女性。その隣のワイヤレスイヤホンをしている男性は、スマホを横にし画面をガン見したまま微動だにしない。出勤する人、登校する人、遊びに行く人、帰る人……そして、それらを座り心地がそんなによくもないシートに背を預け眺める、目的を持たないぼく。
こんな状態でなぜ乗車したのかと聞かれても、なんとなく、としか答えようがない。ほんの気まぐれ。それ以上でもそれ以下でもなかった。
いつも通る道中に駅があって、なんとなく寄ってみた。行き交う電車をぼーっと眺めていたら、ふらっと改札を通っていてハッと気付いたときにはホームにいた。都会と違って田舎のホームでは乗車する以外にやることがなくて、とりあえず止まっていた電車に乗った。旅に出たいとか状況を変えたいとか、そんなことはこれっぽっちも考えていなかった。無意識で、衝動的だった。
疲れていたのか、と気づいたのは揺られ始めて数分後だった。今朝の理由のない意味不明な行動も、無断欠勤しても動じていない今の心の様子も全て、自分の限界を超えて疲れきってしまったからなのだろう。そう分かったところですぐに改善するものでもなく、ぼくは流れる景色をぼんやり眺めた。
広がる田んぼ、畑、ぽつんとぽつんと異様に感覚の広い家たち。ところどころでは屋根が崩れた納屋があったり、手入れする人がいなくなったのか雑草が生い茂り、家を侵食しようとしているのも見受けられた。――その光景に切なく、胸が締め付けられるのはなぜなのだろうか。
いや、理由はわかっている。けれどそれを形にすることは憚られ、ぼくは見て見ないフリをする。そう、決して〝自分がいなくなった後のこと〟など考えてはいけない。
ぼくは幸せな方だろう。それはきっと間違いない。親は両方とも健在で、正社員で雇われている。これといった大病にかかることもなく、片手ほどの友人もいる。貯金は少ないなりにもあるにはあるし、家に帰れば好きなアイドルが出ているドラマを楽しみにしている。当たり前すぎて忘れがちだが、確かな幸せだ。……が、その小さな幸せの真ん中はぽっかりと空洞があるような虚無感を抱くことがあるのだ。
親はもうシニアであるし、ぼくも人生80年ならそろそろ折り返しで今以上に健康に気を遣わなければならない。もしかしたら今も何かしらの病気がぼくの中に静かに潜んでいて、今か今かと爆発するときを待っているのかも知れない。元より数少ない友人たちは地元から離れてしまった。共に人生を歩むパートナーを、と考えるのが普通なのかも知れないが、ぼくにはそんな考えは毛頭ない。かと言って仕事に生きるわけでもない。そもそも正社員と言っても給料はここ10年間一度も上がっていないのだ。……転職という考えがチラつくが、そう思ってもぼくにはいったい何が出来るのか、どんなスキルがあるのか分からないでいる。
そういう鬱屈した気持ちや不安が、幸せの真ん中にある空洞の部分で渦巻き、響き膨れ上がる感覚がある。押しつぶされそうになる度に、これは誰しもが同じように抱える悩みだと言い聞かせた。
そう、ありきたりな悩みだ。この電車に揺られている人たちは、もれなく抱えているありきたりな悩み。人間として社会生活を営む以上、必ず存在する避けては通れない悩みだ。そんなものをとびきり悲劇のように感じ、疲れている自分はなんと弱くて情けないのだろうか。
それでもと、ぼくは思う。
再び車窓の向こうに目をやれば、緑ばかりだった風景が様々な色に溢れ始めていた。色だけではなく文字も、圧迫感も増していく。
ぼくは電車に乗っている。止まることなく、終点に向かう電車に乗っている。
降りる理由も、降りられる駅も、今のぼくには見つからないままに。
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